燃えるゴミ 燃やすゴミ

私はおもちゃを通じての市民活動も行っています。
はじめる前はボランティア講習会や研修会に良く出かけました。ボランティアの意味は奉仕ですが、ボランティア活動と奉仕活動では、少々意味合いが違ってきます。それは、ボランティアには「自主的に」というところが重要となってくるからだそうです。ただ、自主的に取組むことは、日本人は欧米人に比べて少し劣っているそうで、「ボランティア」という言葉が奉仕とは直訳されない理由だそうです。
 その例えがおもしろかったのですが、「結婚が決ったとき」日本人は「結婚することになりました」とよく言うが、自分で決めたはずなのに、「なりました」はおかしい。ここは「結婚します」というべきである。もうひとつは、バスの運転手さんがバスの扉を閉める時に「扉が閉まります」と言うが、ここは「扉を閉めます」と言うべきである。なるほど・・・主語がない。
 そこで、本日の表題部ですが、本土のゴミ箱は「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分かれているが、沖縄で見たゴミ箱には「燃やすゴミ」と「燃やさないゴミ」と書かれていた。ゴミは勝手には燃えない。燃やすのは、人間だ。沖縄には主語があった。
 どんなささいなことでも、「なる」ではなく「する」のです。自ら「する」スイッチを押すのは、自分しかないのです。